■シェーバーこと始め
あなたが毎朝使っているシェーバー(電気カミソリ)はいつ、だれ、が作ったのか知っていますか?

■ブラウン     

BRAUN社は1921年にマックス・ブラウンが設立した会社(工房)が発祥です。 二年後にラジオ機器業界に参入、部品の供給から始めラジオ完成品を製造するようになります。 日本では「ブラウン」といえば電気シェーバーのメーカーとして有名ですが、シェーバーを発売したのは第二次大戦後です。それまでのブラウン社は家庭電器製品のメーカーとしてラジオから蓄音機やステレオなどオーディオ機器に商品を広げます。1920年代末にはドイツ国内では大手のラジオメーカーの一つになりました。特に新しいコンセプトの商品開発に熱心でラジオとレコードプレーヤーのコンビネーションモデルなどブラウン社が他に先がけて発売しています。

第二次世界大戦中は民生品は減産させられ軍需製品の製造にシフトさせられます。そのためもあり空襲を受けてフランクフルトにあった製造工場は壊滅的な打撃を受けることになります。

1950電気シェーバーS50を発売。

■ 第二次世界大戦の終戦後はラジオやランプなどから生産を再開、1950年に電気シェーバーを発売します。モデルナンバーは発売の年号をとって「S50」。薄いスチールの内刃片をダイキャストのブロックに垂直に立てて水平に往復運動させ、その上を薄い網刃で被うという構造で現代の往復・網刃方式を確立しました。 薄いスチールの内刃片をダイキャストのブロックに垂直に立てて水平に往復運動させ、その上を薄い網刃で被うという構造で現代の往復・網刃方式を確立しました。


網刃を最初に採用したのはサンビーム社で、カマボコ形の網刃の中で内刃は網刃弧面にそって首を振るような往復動作でした。 内刃を水平に往復運動させるのは電気シェーバーの「祖」シック社の考案したものです、ミゾ刃状の外刃の中でミゾ刃の内刃が摺動していました。 ブラウン社のオリジナルは「スチール刃片を垂直に立てた内刃ブロックを往復」させたことでした。 「S50」にはいくつかのバージョンがあります。

モデル‐1
試作バージョン 1938/1940 にパテント申請用に製作
モデル‐2 L70
ブラックとホワイト、S50表示ナシ、アメリカへ輸出も考慮して110V/220V切替、1950年 DM35.50で売られています。
モデル‐2 L72
ブラックとホワイト、S50表示ナシ、110V/220V切替、1951年 DM44.50
モデル‐2 L72
ブラックとホワイト、S50表示あり、110V/220V切替、1953年 DM44.50

BRAUN名でなく「Hispano Suiza」とか「Unicorn SK-1」などのマークが入ったモデルもありました。

実際の「S50」を見てみると、ヘッドを被うブラケット(刃枠)はなく、内刃の上に直接薄い網刃をかぶせています。初期のシックやレミントンも同じですが、これでは側面からヒゲくずが外にこぼれます。 S50では内刃ブロックが「閉断面」になっていて内刃片の間にヒゲくずを溜めようという意図が見られます。また現代のシェーバーにない特徴として 内刃と本体の間に鋼球を置きベアリングの役目をさせています。ごく薄いスティールの外刃を前後から引っ張って内刃の弧面に沿わせるので内刃は常に本体側に押し付けられて摺動しています。そのため内刃の四隅をベアリングで支えてスムースな往復動作を実現しました。これは外刃を引っ張ってテンションだけで留めていたS50だけの特徴で、外刃が刃枠側に固定されるようになった次期モデルからは見られません。

内刃片は摺動方向にも天地方向にも垂直で直角ですが、外刃の網穴形状が小判形で10度ほど傾いて「挟み角」を持たせています。また小判形の穴は両側に波型を持ち、刃穴のエッジ部にもパターンを持たせるブラウン網刃の特徴がすでに見られます。

ブラウン・ロゴマーク

■ 1951年創始者マックス・ブラウンが亡くなり、二人の息子が後を継ぐことになります。二人はウルム造形大学に依頼してブラウン社のプロダクトデザインやロゴマークなどを整えていきます。上に伸びたAのBRAUNマークは1935年から使用されていますが1952年整形されて現在に続くロゴマークになりました。

1954 米国・ロンソン社 Ronson にライセンス生産を認める契約を結ぶ

戦後最大の民生品取引と言われました。この契約に基づきロンソン社 は後のシクスタントに似た往復網刃方式のシェーバーを米国で販売します。


1955
モデル‐3として「300 De Luxe」

これが二番目のモデルですがモデルナンバーは「3」、外刃はブラケット(刃枠)に装着されて現在のシェーバーと変わらない形になりました。ロンソン社がライセンス生産したモデルと同じコンセプトです。


1958
Standard 1

”5600”という現代に続く四桁の型式.で「S60」とも呼ばれ、続けて1960年にトリマー刃を追加して”5610” の" Standard 2 "「S61」が生まれます。


1962
シクスタント SIXTANT を発売。

4桁のブラウン型式ナンバーは”5310”。ダイキャストのシルバーのブラケットにマット仕上げの樹脂ハウジングでデザイン的にも先進的でした。ブラウン・シェーバーのポジションを確立した記念碑モデル。六角形の網刃パターンがシックスタントの名前の由来でしょうか?日本では服部時計店と総代理店契約を結び、本格的に日本市場に参入。 平均初任給が1万8千円のころ1万円という高級品でした。銀座・和光で売っていました。「暮らしの手帳」誌のテストで高評価を得たことが日本の愛用者を増やしたひとつの理由でしょう。

手元にあるシクスタントは「SM3」というモデルです。ヘアーライン仕上げのダイキャストのブラケットとつや消しの黒い樹脂製のハウジングは緊張感のある大きなアールを持ったデザインで、後の直線と円弧の組み合わせになる前の造形です。ウルム造形大学の教授だったハンス・ギュジョロ Hans Gujelot とゲルド・アルフレッド・ミューラー Gerd Alfred Mueller のデザインです。

「SM3」の網刃の刃ウラには「シンク」が形成されており現在の網刃の断面と同じです、この「シンク」は最初のシェーバー「S50」には見られません。 S50の網刃はエッチングという加工方法で作られていました。金属板を侵食させて孔加工する方法です。薄い網刃材に自由な孔加工が可能でした。 S50はそれまでのサンビームなどより薄くしなやかな網刃を実現しましたがその分内刃が肌にあたりヒリつきの原因になりました。

それに比べて「SM3」の外刃は刃のウラ側に刃孔に沿って突起があり、内刃先端からミクロン単位のスペースができ、ひりつきが改善されました。 この突起部を「シンク」と呼び、製法に電気鋳造法(エレクトロフォーミング)、材質にニッケルを採用することで可能になりました。 電気鋳造法はメッキ加工と同じような原理で版上に金属を成型させて微細な加工が可能です。インジェットプリンターのインク射出口などに応用されています。
図のように刃材の厚み40ミクロンほどに対して10ミクロンほどの突起が刃孔の縁に沿って成型されており、その先端がヒゲをカットする刃のエッジになっています。 ヒゲを剃ると内刃の摺動でこの突起部が磨耗していきます、突起がなくなると直接刃材が磨耗するため網刃破損にいたります。この突起部が全磨耗するまでがいわゆる網刃の寿命です。

ヘアーライン仕上げのダイキャスト製のブラケット(外刃枠)は前後面に二個づつビスがあります。これは内側にある網刃留め金具を外側から留めているものですが、背面側のビス頭はプロテクションキャップの「係り」をかねてデザインの一部となっており違和感がありません。

シクスタントの外刃枠に見えるこのビスや前後ハウジングをとめているネジのヘッドは「マイナスミゾ」ですが、同時代のロンソン601にはすでに「プラスミゾのネジ」が使われています。 プラスミゾ・ネジは1936年にパテントが認められましたがその普及度合いがアメリカとヨーロッパでは違っていたのでしょうか。

【Trivia】
● プラスミゾのねじは考案者の名前をとって”フィリップスねじ”とも呼ばれました。シェーバーのフィリップスとは関係ありません、米国・フィリップス・スクリュー社のHenry Phillips がパテントを出願して1936年に認められます。しかし実際に生産したのはパテントを譲られたアメリカン・スクリュー社で当初は航空機に使われました。


.S50とSIXTANT の間に

ブラウン・シェーバーを語るとき「S50」の次には「シクスタント」が出てきますがこの二つのモデルの間は12年あります。実際にはこの間にいくつかのモデルがありました。上記1955年「300 De Luxe」とか、服部時計店のポスターに「スタンダード」というモデル名が見られます。
手元にロンソン社のモデルが3台あります、モデルナンバーは「200」「260」「401」。

■「200」はS50の影響が強く現れていて、内刃の構造や網刃のパターンがS50とよく似ています。「200」は樹脂製のブラケットを持ち、外刃はブラケットの下端に挟み込んで位置決めする仕組みで、「外刃」と「ブラケット」が一体になった「近代的」な構造でしたが、「内刃」はS50と同じように刃片の間が閉断面のブロックでした。

■「260」は「200」と同じ構成で外刃はブラケットのエッジに嵌める方式で「200」とまったく同じですが、内刃ブロックが「中空」になりヒゲくずは刃片の間を抜けてブラケット内に溜まる現在と同じ仕組みになりました、外刃のパターンもS50タイプの「小判形」からシクスタントに似た「六角形」になっています。

■「401」になると構造も主要寸法もシクスタントと同じようです。内刃の振動子が「200」や「260」では正面から少し左に寄った位置にあったものが「401」では本体の中央になり、外刃の網刃パターンもシクスタントの六角形になり、網刃の固定方法もブラケット・エッジに挟み込む方式からブラケット・ウラのピンに止める方式になりました。「401」と「シクスタント」を並べると、諸元寸法は同一と思われます。


1960年代

60年代に回転・網刃方式のシェーバーも販売しています。写真のモデルの年式は不明ですが、銘板に「B11」という型番と「Made in West Germany」の表示あります。シクスタントも同じですがプロテクションキャップの「赤いドット」が共通シンボルでした。


1965

新たな本社としてフランクフルトに近いKronberg を選択します。ここが現在も本社です。
GoogleMap:frankfurter Strase 145 61476 Kronberg im Taunus, Germany
フランクフルター通り 145, 61476 クロンベルク・イム・タウヌス, ドイツ




1967

米・ジレット社 Gillette がBRAUN AG.の過半数株を保有し Gillete社傘下となります。 ジレット社は当時いろいろな企業を買収してビジネス規模を広げていました。すでに米国最大の安全カミソリの会社で、この買収は米国司法省から独占禁止法でコメントがつき、最終的に1984年までBRAUNシェーバーを米国市場で販売しないことで決着したようです。

1968

服部時計店との総代理店契約を終了して自社で直接営業活動を始めます。本社は横浜市中区山下町でした。

1972

シェーバー「シンクロン Syncron」発売。

1979

シェーバー「ミクロン2000 Micron 2000」ヨーロッパと同時発売


1985

シェーバー「システム 1-2-3」発売。 シングル・フォイルシェーバーの最後のトップモデルです。1-網刃剃り、2-くせヒゲ剃り、3-きわ剃り、と機能と商品名が分かりやすく、ダイキャストのブラケット、網刃カセット、ミクロンから引き継いだ突起を並べたハウジングなどデザインと品質が好評でした。 ドイツ本国のカタログには「Micron Vario3」という名称もみられます。ミクロン・シェーバーの発展系というポジショニングだったのでしょうか。


1988

1億台のシェーバー生産(Walldurm工場)達成。日本での販売も好調で年間販売200万台と言われました。日本のシェーバー市場が当時ドイツ本国のシェーバー市場よりはるかに大きかったこともありブラウン社では日本は最重要市場でした。

【Trivia】
● 1990年仏・シルクエピル社 Silk-Epil SA を買収。女性脱毛器市場参入。 シルクエピル社はディスクで挟んで抜く方式のパテントをもっていて、数年前から松下電工に脱毛器を供給していました。ブラウン(と言うことはGillette社)の買収で松下は独自の方式の開発に進みます。
● 個人用の電動脱毛器はイスラエルのエピレディー社が開発したものが最初です。日本でもドラッグストアや薬局でも売ってました。ねじったコイルスプリングを回転させてコイルの開閉で脱毛させました。開発して世界中の電気メーカーに売り込み(企画担当者はほとんどが男性で「美しくなるためには多少の痛みは我慢する」ことが理解されなくて)どこにも採用されず、自社で製造・販売したという話が残っています。


1990

フレックス・コントロール Flex Control 発売。「首振りヘッド」「二枚刃」方式。網刃先端部をピボットにヘッドが前後にスイングする新機構でその後のブラウン・シェーバー(複数刃)の基本機能になります。内刃も新構造で、中空丸鋼材から削り出したような仕上がりで二本の内刃は共通の土台でひとつの振動子に載っていました。
【Trivia】
1991年にブラウンが回転ブラシという新コンセプトの電動歯ブラシを発売します、1984年にGillette が Oral-Bを買収したことの相乗効果でしょうか。


1994

フレックス・インテグラル-3 Flex Integral-3 発売。首振りヘッドの二枚の網刃の間にトリマー刃を置いた新ヘッドを採用。

1999

フレックス・シンクロ・システムC/C(Flex Syncro System C/C)発売。日本のシェーバーから始まった水洗い機能ですが、ブラウンは高機能化した専用洗浄バスケットを開発し充電ターミナルを兼用、専用洗浄液をカートリッジ化して販売する新しいビジネスモデルも始まります。C/Cとはチャージ・アンド・クリーンのこと。デザインが劇的に変化しました、従来の直線を円弧で結んだコンセプトから変わって、膨らみをもったハウジングと明快に独立したヘッド部という組み合わせの新しいコンセプトになりました。
【Trivia】
デザインの中心的存在だった ディータ・ラムス氏 Dieter Rams が1997年に引退したことがシェーバーデザインの変化に関係しているのでしょうか。

2001

 

シンクロ・システム・ロジック(Syncro System Logic)発売。シェーバー全体を管理する回路を導入、ヘッドの振動でシェービング範囲を拡大などの新基本機能が始まります。このモデルからFlex の名前が消え、同デザインで Flex Syncro System と Syncro System Logic が共存してちょっと複雑。


2002

フリー・グラインダー(Free Glinder)発売。PhilipsのCool Skin の競合モデルでシェービング中にコンディショナーを塗布、スケルトンハウジングで初めて防水水洗い機能をうたいました。

2003

 

アクティベータ(Activator)発売。新コンセプトの網刃パターン、四種類の穴形状を五方向に配列してアクティベーターパターンと言いました。

2004

アクティベーターX(Activator-X)発売。
内刃を27枚から31枚に増やした。

【Trivia】
2005年ブラウンの親会社ジレットがプロクターアンドギャンブル社に吸収合併され、ジレットの子会社のBraun、Duracell、Oral-BなどもP&Gの傘下となりました。2007年P&GジャパンとGilletteジャパンが統合。

2006

プロソニック(Prosonic)発売。前モデルで採用されたすくい角(49度)の内刃、Li-ion 電池、などにあわせて「リニアー駆動のモーター」を採用、コンパクトな新フォルムのハウジングになりました。

  ※BBCtwo映像

2009

新しいモデル名でモデルレンジ刷新。シリーズ 7、5、3、1 の四群にまとめ、スタイリッシュモデルの「クルーザー(cruZer3)」と合計5つのモデル群構成になりました。